1930年 パリ・オペラ座のバレリーナ

バレエ「白鳥の湖」の稽古をするバレリーナ。

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この一連の写真はアメリカの報道写真家、アルフレッド・アイゼンスタット(Alfred Eisenstaedt)によって撮影されました。舞台は1930年のパリ・オペラ座、リハーサル室。客席から見上げるシャガールの天井画のさらに上の階に、現在もリハーサル室は存在するそうです。
1928年に写真家として活動を始めたアルフレッド・アイゼンスタットは、1934年にはヒトラーとムッソリーニの会談を記録した数少ない写真家となりますが、ユダヤ人であった彼はナチスによる迫害を免れるため、1935年、アメリカに移住します。

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その後、LIFE誌の専属カメラマンとなり、マリリン・モンローやヘミングウェイ、ソフィア・ローレンなど、多くの著名人の肖像写真を撮ります。

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彼の最も有名な写真は『Legendary kiss V–J day in Times Square(勝利のキス)』でしょう。1945年8月14日、連合国軍の勝利による第二次世界大戦終結を喜び合う群衆の中で、看護婦と水兵がキスをしている瞬間をとらえた写真です。

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アルフレッド・アイゼンスタットが写真家として駆け出しの頃に撮影したこれらの一連の踊り子の写真はあまり知られていないそうですが、1930年のパリといえば、1929年の世界大恐慌をきっかけに保守的になっていた時代。ベル・エポックと呼ばれた華やかな時代が終わり、1914年の第一次世界大戦を経験し、1920年代の狂乱の時代を超えた社会。
オペラ座の踊り子たちが一望のもとに見渡したパリは、一体どのような風景だったのでしょうね。

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アントニー・ゴームリー、ナイト爵位受章

 

英国の勲章制度の一つであるNew Years Honors。2014年の受章者の一人、アントニー・ゴームリー(現代彫刻家)に関するBLOUIN ARTINFOの記事の対訳です。ゴームリーのインタビューはBBCの動画が分かりやすいです。

今日の英国を代表する彫刻家・ゴームリーですが、日本では新潟県十日町で『もうひとつの特異点』や箱根彫刻の森美術館で『密着』などの作品を見ることが出来ます。
アントニー・ゴームリー オフィシャルサイト

 

Antony_Gormley_STILL_FEELING_1993
STILL FEELING [PROP], 1993

Antony Gormley Knighted
アントニー・ゴームリー、ナイト爵位受章

JANUARY 3, 2014, 12:47 PM
2014年1月3日、午後12時47分
Ashitha Nagesh, ARTINFO U.K. (@UK_ARTINFO)

 

Contemporary sculptor Antony Gormley has been awarded a knighthood in the 2014 New Years Honors list. Gormley won the Turner Prize in 1994, and received an OBE — Order of the British Empire — in 1997. In 1998 he created “The Angel of the North” in Gateshead near Newcastle, which is now one of the most recognizable monuments in the country.

現代彫刻家のアントニー・ゴームリーがNew Years Honors 2014にてナイト爵位を授与された。ゴームリーは1994年にターナー賞を受賞し、1997年に大英帝国勲章を贈られた。1998年、ニューキャッスルにほど近いゲーツヘッドに『エンジェル・オブ・ザ・ノース』を制作。この彫刻はイギリスにおいて最も名高い現代彫刻のひとつといえる。

 

Gormley’s other permanent sculptures in the U.K. include “Transport” (2010), installed in Canterbury Cathedral, and “Witness” (2011) in the British Library. He also received the South Bank Prize for Visual Art in 1999, the Bernhard Heiliger Award for Sculpture in 2007, and the Obayashi Prize in 2012.

ゴームリーの常設彫刻には、この他にカンタベリー大聖堂の『トランスポート』(2010)、英国図書館の『ウィットネス』(2011)が挙げられる。彼はまた1999年にサウス・バンク賞ビジュアル・アート部門、2012年に大林賞をそれぞれ受賞している。

 
He was made a Royal Academician in 2003 and a British Museum trustee in 2007, and is also an honorary fellow of RIBA (the Royal Institute of British Architects), an honorary doctor of the University of Cambridge, and a fellow of Trinity and Jesus Colleges, in Cambridge.

彼は2003年にイギリス王立芸術院会員、2007年には大英博物館評議員となった。また王立英国建築家協会の名誉フェローであり、ケンブリッジ大学の名誉博士であり、同大学トリニティ・カレッジおよびジーザス・カレッジの名誉フェローでもある。

 
Gormley said in an interview with the BBC: “the Knighthood is a strange, old-fashioned thing in a way. It’s a sort of fairy tale.”

BBCのインタビューの中で彼は「ナイト爵位といのは不思議な、ある意味では時代遅れなものです。それはおとぎ話のようなもの。」と語った。

 
“Hopefully this will encourage people to look — maybe not to see, but at least to look,” he continued. “You don’t do this job for money, or for honors like this; I think you do it because you can’t not do it. So in a curious way this is a double gift — because it is about recognition, but it’s also about being told ‘well done’ for something that you would have done anyway. And that makes it more precious.”

「幸いにも、この称号は人々に作品を”見る”という行為を促します。ー”見える”のではなく、少なくとも”見る”ということを。」彼は続ける。「お金のため、あるいはナイト爵位のような名誉のために作品を作っているのではないのです。私が思うに、作ることが出来ないから作ろうとするのです。そして興味深いことに、今回のナイト爵位はふたつのことをもたらします。ひとつは(現代アートの)認識に関して。そしてもうひとつは、これまでにやってきたであろうことに対して”よくやった”といわれることです。」


ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」、今後は国外に出さない

MY TF1 Newsに掲載されているニュースのフランス語原文とその対訳です。

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© Musée du Louvre

Le tableau La liberté guidant le peuple ne sortira plus de France
Edité par Sabrina Syed avec AFP
le 12 décembre 2013 à 11h07 , mis à jour le 12 décembre 2013 à 11h13.
「民衆を導く自由の女神」、今後は国外に出さない
文:Sabrina Syed AFP通信
フランス時間 2013年12月12日11時07分

La toile de Delacroix “a été extrêmement abîmée par de précédents voyages”, a souligné la ministre de la Culture Aurélie Filippetti, ce qui rend impossible un prêt à la Chine.

ドラクロワの絵は「これまでの(貸出に伴う)移動で極めて傷んでいる」と文化大臣のオーレリー・フィリペッティ氏は言う。つまり、中国への貸し出しは不可能ということだ。

Le tableau d’Eugène Delacroix “La liberté guidant le peuple” ne sortira plus de France. “Il ne pourra pas être prêté à la Chine, comme cela avait été envisagé, en raison de son état”, a estimé jeudi, la ministre de la Culture, Aurélie Filippetti. L’envoi de ce chef-d’œuvre du Louvre en Chine avait été envisagé dans le cadre du 50e anniversaire de l’établissement des relations diplomatiques entre la France et la République populaire de Chine.

ウジェーヌ・ドラクロワの作品「民衆を導く自由の女神」が国外に出ることはないだろう。「絵画の状態を鑑みると、想定されていた中国へ貸し出しは出来ない」と文化大臣のオーレリー・フィリペッティ氏は木曜日に述べた。このドラクロワによる傑作のフランスから中国への貸出は、両国の外交関係樹立50周年の記念に関連するものとして考慮されていた。

“Aujourd’hui, l’avis des conservateurs est très net : cette toile ne doit plus bouger”, a déclaré la ministre sur France Inter.” Moi, je suis l’avis des professionnels, c’est eux qui permettent de garantir le rayonnement de la culture française partout dans le monde”, a-t-elle poursuivi. “Il y a un travail qui est fait avec l’ensemble de nos musées, dans, le cadre du 50e anniversaire du rétablissement des relations avec la Chine, prêter des tableaux, mais en l’occurrence, pas des tableaux qui seraient mis en danger par un voyage extrêmement long et compliqué”, a précisé Mme Filipetti.

「今日、学芸員達の意見は非常にはっきりしている-この絵はこれ以上動かすべきではない」と文化大臣はフランス・インター(フランスのラジオ放送局)に語った。「私は専門家の意見に賛成だ。世界中でフランス文化の威光を守ることを可能にしているのは彼らなのだから」と彼女は続ける。「フランスと中国の外交関係樹立50周年の記念の枠組みで、フランスの美術館と共同で進められている案件がある。それが絵画の貸出だ。しかし、この場合、とても長く且つ複雑な移動によって危険な状態に置かれる絵画を貸出することは出来ない」と述べた。

La toile de Delacroix ” a été extrêmement abîmée par de précédents voyages”, a souligné la ministre, citant un déplacement, il y a 40 ans, aux Etats-Unis, mais aussi beaucoup plus récemment à Lens (Pas-De-Calais), pour l’ouverture du Louvre-Lens. “Il y avait un sens politique à ce qu’elle soit présenté à Lens, c’est un vrai geste de démocratisation d’accès à la culture, mais malheureusement, on a constaté à son retour que cette toile avait été fragilisée”, a indiqué la ministre.

ドラクロワのキャンバスは「先立つ移動によって、極めて傷んでいる」という。40年前のアメリカへの貸出や、ごく最近の、ルーブル美術館ランス別館への貸出を引き合いに出した。「ランスでの展示に関しては、文化へのアクセスを真に民主化する上での政治的な意味合いがあった。しかし、不運なことに、この絵画がランスから還ってきた時、我々はキャンバスが脆くなっていることを確認したのだ。」

 

 

意訳誤訳等はご容赦下さい。